パリ漫!ソレコマール

30歳超えて衝動的にフランスのパリに住み始めました。

ノートルダム火災に思ったこと

◯事情

のほほんと家でくつろいでいた夕方ごろに友人から驚きのメールが届いた。パリのノートルダム大聖堂に火がついているというので。

ノートルダムの火災に思うこと

外国人として生きること

 初めてパリに着いた時、サンミッシェル駅の地下鉄の階段を登り終えてすぐ目の前に飛び込んだパリノートルダム大聖堂の迫力に息を呑んだ以降も、クリスマスも、正月も、なんでもない日でも、威厳のある大聖堂の姿が僕の思い出にそびえ立ち、凱旋門よりもエッフェル塔よりも自分の中で身近なものだったからこそ、今回の火災は衝撃的で切なく悲しかった。

 とはいえ、テレビニュースで大の大人が涙を流したり、憔悴しきった顔で消火活動を見守っているのを見ていると、彼らのように悲しみに包まれたフランス人を目の前に、フランス人でもなく、キリスト教徒でもない自分が同程度の悲しみを表すのはできないし、たとえ、思い出を振りかざして同程度の悲しみを装ったとしても、何か違う気がして、うまく自分なりの悲しみを表現できなかった。

 東北の地震の際に、日本在住のアメリカ人の学者が日本人に寄り添いたいと日本国籍を取ったというニュースを見たことがあるんだけど、その瞬間、そのニュースを思い出し、彼の行動を改めて納得できたのは、外国人として外国に住むってことは、こうした国民の悲しみを傍観者としてでしか見ることができないってことだと痛感したからだと思う。